2015年9月1日(火) 雨のち晴れ
今日はお店からタクシーで5分と近い、
日本郵船歴史博物館へ遊びに行きました。
今回ぶら散歩してくれる美女は、
ハマヘル同好会の「広瀬りん」さんです。
横浜の街が大好きという素敵なお嬢様です。

到着しました。
総合物流企業日本郵船が運営する、明治維新以降の近代日本海運の歴史を紹介する博物館です。
この建物は、1936年(昭和11年)8月に会社創立50周年を記念し、横浜支店として建てられたそうです。

ギリシャのパルテノン神殿を彷彿とさせる華麗な外観を持ち、2階部分まで貫くコリント式の円柱が16本並んだ姿はとても壮観です。

明治18年(1885年)「郵便汽船三菱会社」と政府・三井・関西財閥系の資本を集めた「共同運輸会社」と合併し、新会社「日本郵船会社」が誕生したのです。

日本郵船横浜支店は現在2階のフロアにオフィスがあり、1階が博物館になっている。
平成5年(1993年)12月に開館しました。

この博物館は日本郵船の社史を通して日本の海運の歴史を後世に伝えることを目的として開館したました。常設展では明治維新から現在の日本郵船までの歴史を展示をしており、そのほかに企画展やイベントを行っています。

正しく日本の海運業の草分け的な存在で、山下公園に係留されている氷川丸を所有していた会社としても知られています。
ちなみに氷川丸は埼玉県の氷川神社から名前を授かり、その流麗な船型で「北太平洋の女王」と呼ばれていたそうです。

明治以降「人」「物」「文化」を運んだ船が、日本から世界に向けて航路を延ばしていっ た歴史を展示しています。
1920年代の豪華客船の大型模型や映像も楽しめます。

近代日本海運の黎明期から今日に至るまでの海運の役割と進歩、そして人や物、文化の交流など歴史の数々が紹介されています。

この頃は、海外旅行といえば客船に乗って行くものであり、豪華客船は海運事業の華。
横浜郵船ビルの3階には、豪華客船の従業員を教育する施設があった。英語などの語学の他、料理、マナーなどの授業も行なわれていたらしい。

豪華客船の楽しみの中で、食事はかなり大きなウエイトを占めている。昔は船上の娯楽も現在に比べ少なかったので、食事の重要性はさらに高かったのです。

客船の厨房施設を入れたコック養成所では、フランスから招いたシェフがコックたちに本格的なフレンチの作り方を伝授し、サービスの仕方に至るまで実践的な教育が行われていた。
昭和初期という時代にこれだけ充実した施設を社内に持っていたからこそ、豪華客船にふさわしい一流のサービスを提供できたのでしょう。

浅間丸 1936年8月12日ディナー(復元)
船が長い航海を終えて港に入る2日前には特別な晩餐が提供されました。

日本郵船の料理はフランスから招いたシェフ直伝で評判が高く、当時「西洋料理には帝国ホテル式と郵船式がある」と言われていたほど。

能登丸

6メートルの天井には、ロゼットの飾りが並んでいる。
天井の梁がアーチを描いている部分は来客用だったスペース。

直線の梁が渡っているのは、支配人室や事務室があった場所です。

近代のコーナーでは原油を運ぶタンカーや、貨物を箱へ入れて運ぶコンテナ船のほか、たくさんのモデルシップを展示しています。

お土産屋さんには書物、絵画、レトロなポスター、高価な船のレプリカなど興味深いものが沢山売られていました。

りんちゃんは何を買ったのかな?

現在も日本の海運業界を代表する企業である、日本郵船株式会社。

りんちゃん!今日はどうでしたか?
「タンカーや貨物の物流の歴史とか客船とか、色々勉強になりました!」
それは良かった(^^)/

おしまい( ˘ω˘ )
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